「この仕事、本当に必要だろうか?」――多くの人が心のどこかで感じたことがあるかもしれません。
文化人類学者の故デヴィッド・グレーバー氏が提唱した「ブルシット・ジョブ(BSJ)」、つまり「クソどうでもいい仕事」という概念は、この現代社会に潜む根源的な問いに光を当て、世界中で大きな反響を呼びました 。
「ブルシット・ジョブ」とは何?
グレーバー氏が定義するブルシット・ジョブ(BSJ)とは、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用形態」のことです。
単に無意味なだけでなく、給料をもらうために「意味があるフリ」をしなければならない点が、この概念の核心です。
この「取り繕い」こそが、働く人に精神的な苦痛をもたらす根源だと指摘されています。
グレーバー氏は、BSJを大きく5つのタイプに分類しました。
種類 | 概要 |
---|---|
取り巻き (Flunkies) | 上司など誰かを偉そうに見せるためだけにある仕事。 |
脅し屋 (Goons) | 過剰な広告宣伝や不要な商品を売りつけるセールスのように、他人を攻撃したり欺いたりする。 |
尻ぬぐい (Duct Tapers) | 組織の欠陥や不手際の後始末をする仕事で、例えば欠陥のあるシステムの修正作業などが挙げられる。 |
書類穴埋め人 (Box Tickers) | 誰も読まない報告書を作成したり、形式的な手続きに時間を費やしたりする。 |
タスクマスター(Taskmasters) | 不要な管理職のように、部下に仕事を割り当てるだけであったり、他人にBSJを創り出したりする。 |
BSJとしばしば混同されるのが「シット・ジョブ」です。
これは清掃員、介護士、保育士のように、社会に必要不可欠で価値が高いにもかかわらず、低賃金で劣悪な労働条件に置かれている仕事を指します。
BSJが「報われるが無意味」であるのに対し、シット・ジョブは「有用だが報われない」という、ある意味で対極の関係にあると言えるでしょう。
なぜ「クソどうでもいい仕事」は生まれるのか?
では、なぜこのような無意味に思える仕事が存在し、増え続けているのでしょうか。
グレーバー氏は、その背景にいくつかの構造的な要因があると指摘します。
一つは「経営封建制」と呼ばれる考え方です。
これは、現代企業の経営層が、純粋な効率性よりも自らの地位や威信を高めるために、不要な部下や役職を増やそうとする傾向を指します。組織が大きくなるほど、誰が何をしているのかが見えにくくなり、結果として不要な階層が増殖しやすくなるのです。
また、経済の金融化やネオリベラリズム(新自由主義)の進展も影響していると分析されています。市場原理を徹底しようとするあまり、本来数値化しにくいケア労働などの価値まで無理に評価しようとしたり、自己責任論が強調されることで組織が防衛的になり、官僚主義的な手続きが増えたりする傾向があります。
加えて、文化的・道徳的な側面も見逃せません。
「働くこと自体が尊い」という、プロテスタント労働倫理などに根差す社会的な価値観が、仕事の内容の有用性に関わらず、雇用されていること自体を肯定する風潮を生み出しています。
これにより、無意味な仕事に対する疑問が抑制されがちです。支配層にとっては、人々が仕事に忙殺されている方が都合が良いという側面も指摘されています。
無意味さを感じる労働者の割合はどれくらい?
BSJは一体どれほど存在するのでしょうか。
グレーバー氏が引用した英国の調査では、労働者の37%が「自分の仕事は世の中に貢献していない」と感じているという結果が出ています。オランダでの同様の調査では40%に上ったとされています。
しかし、より広範な国々を対象とした学術的な調査では、異なる結果が示されています。国際社会調査プログラム(ISSP)のデータを用いた研究では、「自分の仕事は社会的に無用だ」と感じている労働者の割合は約8%、欧州労働条件調査(EWCS)のデータ分析では、「自分の仕事が有用だと感じることは稀またはまったくない」と回答した労働者の割合は約5%でした。
これらの結果は、グレーバー氏が依拠する調査結果よりも大幅に低く、BSJの実際の普及度については議論の余地があることを示唆しています。質問内容の違いなどが影響している可能性があります。
日本に目を向けると、BSJの普及度を直接測る大規模な調査は見当たりません。
しかし、ギャラップ社の調査によれば、日本の従業員のエンゲージメント(仕事への熱意や貢献意欲)はわずか6%と世界最低レベルであり、職場満足度も国際的に低い水準にあることが示されています。
これは、多くの日本の労働者が仕事に意味ややりがいを見いだせていない現状を示唆しているのかもしれません。
BSJがもたらす個人と社会への深刻な影響
では、BSJに従事することは、個人や社会にどのような影響をもたらすのでしょうか。
グレーバー氏は、それを「深刻な心理的暴力」あるいは「精神的暴力」と表現しています。この苦痛は、人間が本来持つ「自分の行動を通じて世界に影響を与えたい」という根源的な欲求が満たされないことに起因すると考えられます。
さらに、BSJに特有の「取り繕い」は、深刻な認知的不協和を生み出し、従業員を精神的に消耗させます。自分の時間が無駄に費やされているという感覚や、時には自分の仕事が社会に害をなしているかもしれないという認識も苦痛の原因となります。高給や快適な環境であるがゆえに、その無意味さに苦しんでいても不満を口にしにくいという、「自らの惨めさに権利を感じられない惨めさ」も、BSJ特有の複雑な感情です。
こうした心理的負担の結果として、不安、抑うつ、絶望感、意欲減退といった精神衛生上の問題が報告されています。
社会経済的なレベルで見ると、BSJの蔓延は、人的資本、時間、資金といった貴重な資源の膨大な浪費を意味します。
これらの資源は、本来であれば真に生産的な活動や社会的に有益な事業に向けられるべきものです。自動化技術の進展による生産性向上の恩恵が、BSJセクターの拡大によって相殺され、社会全体の生産性向上を妨げている可能性も指摘されています。
また、官僚主義的な手続きや無意味なタスクへの集中は、創造性や真のイノベーションを阻害する可能性もあります。
さらに、BSJ(高給だが無用)とシット・ジョブ(低賃金だが有用)の間の著しい格差は、社会的な不公平感と憤慨を生み出す一因となり得ます。
本当に「ブルシット」なのか? 理論への批判と別の視点
グレーバー氏のBSJ理論は大きな影響力を持つ一方で、様々な批判にもさらされています。
最も大きな批判の一つは、BSJの定義が従業員の「主観的な」無意味感に依存している点です。
批判者は、個々の労働者は自身の役割の真の価値や複雑性を理解していない可能性があり、局所的に無意味に見える仕事が全体としては必要不可欠である可能性を指摘します。
この主観的な定義は曖昧であり、経験的に検証することが難しいという問題もあります。
また、グレーバー氏が依拠する調査データの妥当性にも疑問が呈されています。彼が高普及率(37-40%)の根拠とする調査は、「意味のある貢献」という広範な問いに基づいています。
一方、「社会的に有用」といったより具体的な基準を用いた大規模な学術調査では、はるかに低い数値(5-8%)が示されており、グレーバー氏がデータを都合よく解釈した可能性が指摘されています。
BSJが近年急速に増加しているという主張や、特定の職種に集中しているという主張についても、経験的な証拠は乏しいか、反論が存在します。
経済学的な観点からは、効率性を追求する資本主義市場が、真に無意味な仕事を長期的に維持することは考えにくく、市場競争によって排除されるはずだという反論があります。
一見BSJに見える管理、調整、マーケティング、法務といった仕事も、実際には組織の複雑性を管理したり、取引コストを削減したりする上で、間接的に価値を提供している可能性があるという指摘もあります。
これらの批判を踏まえ、BSJ現象(特に労働者が感じる無意味感)を説明するための代替的な枠組みも提案されています。
マルクス主義における「労働疎外」の概念は、仕事の客観的な有用性だけでなく、労働プロセスからの疎外(管理・統制の欠如)や自己実現の機会の欠如といった、より広範な労働条件から無意味感が生じる可能性を示唆します。
また、大規模組織に固有の非効率性や官僚主義、あるいは劣悪なマネジメントや有害な組織文化なども、労働者が無意味さを感じる原因となりうると考えられます。
ブルシットジョブに対する解決策
では、どうすればBSJの問題に対処できるのでしょうか。
グレーバー氏自身が最も強力に提唱した解決策は、「ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)」です。
これは、政府が全国民に無条件で定期的に一定額の現金を支給する制度で、これにより人々は生計のためだけに無意味な仕事を受け入れる必要がなくなり、労働者の交渉力が高まると期待されます。
また、介護や育児、芸術活動といった、市場では評価されにくい価値ある活動を支えることにも繋がります。
しかし、UBIに対しては、財源の問題、労働意欲への影響、インフレ懸念など、実現可能性に関する多くの課題や批判も存在します。
より現実的なアプローチとしては、「労働時間短縮」が挙げられます。週4日制などを導入し、賃金を維持したまま働く時間を減らすことで、BSJで埋めるべき時間が物理的に減少し、ワークライフバランスやウェルビーイングの向上が期待されます。実際に生産性が向上したという報告もあります。
さらにミクロなレベルでは、「仕事の再設計」や「ジョブ・クラフティング」、そして「組織文化の変革」といったアプローチがあります。組織が主導して不要なタスクを排除したり、従業員自身が主体的に仕事のやり方や意味づけを変えたり、見せかけの忙しさや形式主義を排する組織文化を醸成したりすることで、BSJの削減や働く人のエンゲージメント向上が期待されます。
テクノロジーの進化もBSJに複雑な影響を与えています。AIや自動化は、データ入力や書類作成といった定型的なBSタスクを効率化し、削減する可能性を秘めています。しかし、AI自身が新たな管理レイヤーや、AIの監視・修正といった新たなBSJ(例えば「AI倫理担当者」や「プロンプトエンジニア」など)を生み出す可能性も十分に考えられます。AIツールがタスクを高速化することで、かえって無意味なタスクの量が増える「BSJループ」に陥る危険性も指摘されています。
リモートワークの普及も、BSJとの関係で注目されます。オフィスでの物理的なプレゼンスで「忙しいフリ」をすることが難しくなるため、BSJが可視化され、成果がより重視されるようになる可能性があります。
一方で、リモートワークはコミュニケーションや調整のコストを増大させ、管理職が物理的な監視の欠如を補うために、過剰な監視ツールを導入したり、頻繁な報告を義務付けたりすれば、それが新たなBSJとなり得ます。
「働く意味」を問い直す時代へ
デヴィッド・グレーバー氏のブルシット・ジョブ理論は、その統計的な正確性や理論的な洗練度について様々な議論があるものの、現代社会における「働くことの意味」という、極めて重要で根源的な問題を私たちに突きつけました。
人間にとって、意味のある活動に従事することが、精神的な充足感や幸福感(ウェルビーイング)の根幹に関わるのであれば、現在の経済・社会システムが、そのような有意義な労働の創出と評価を十分に支援しているのか、改めて問い直す必要があります。
BSJ問題への取り組みは、単なる経済的な効率性の問題に留まりません。それは、労働、余暇、そして社会貢献に対する私たちの価値観そのものを見つめ直し、文化的な変革をも促すものです。グレーバー氏の問いかけは、21世紀における仕事の目的と未来について、私たちが真剣に向き合うべき対話へと導いてくれるのです。課題は、「ブルシット」を特定し批判することに留まらず、真に価値があり、私たちに充足感をもたらす人間らしい活動を育む社会システムを、どのように構想し、築き上げていくかにあります。